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○国際派の教師になるために
子どもたちに国際感覚を身につけたい。しかし、自分自身にはそんな感覚は毛頭無い。どうすれば良いのか考えた時、しばらくなりを潜めていた若い頃の夢が頭の中で活動を再開し始めた。
若い頃の夢、それは日本人学校の教師として派遣されること。結婚してしばらくたった頃、そのことを妻に話したら、「そんなことしたら離婚ものよ」と1発で跳ねとばされた。 もうすぐ40歳という頃に、もう一度妻に話してみた。そうしたところ、今度は自分も海外に行きたいという希望もあって快諾。校長の許可も取って試験を受けた。しかし、なかなか合格しない。年に1度の試験を3回受け、やっと合格した時には40歳になっていた。
派遣先は、どこでも良かった。とにかく、数日の旅行を何度繰り返しても、国際感覚なんて理解できないと考えていた。2年・3年と外国に住んで、その土地の空気を吸い水を飲み、その国の人と交わらなければ。
○香港での3年間
派遣先が決まったのは、40歳の秋も終わろうとしていた頃。中国への返還目前の香港だった。校長から派遣先の連絡をうけたらすぐに本屋へ走り、観光ガイドブックと広東語のテキストを買ってきた。
私が派遣された学校は、1997年新規開校の学校で、日本人学級と併設で国際学級も設置された。一つ屋根の校舎内で、日本人と外国人が一緒に勉強する。
日本人の子どもたちを教えながら、国際学級の授業を見学したり交流会を持つことによって、日本の学校では体験できない貴重な経験をたくさんすることができた。
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国際学級も併設されている日本人学校 |
○果たして国際感覚は・・・
3年間、とにかく全力で香港に住んでいる子どもたちにぶつかっていった。全国から集まっている先生達とも協力しながら、数多くの実践を積んできたつもりだった。果たして、こんな「おっさん」に国際感覚なんて身に付いたのだろうか。
しかし、これと言った確証もないままに3年間の派遣を終えて帰国。今度は3年間の経験を、山奥の小さな学校で頑張っている子どもたちに返していかなければならなかった。
○テレビ会議は実践してきたが
香港派遣時に衝撃的な出会いをしたのが、インターネットを利用したテレビ会議。まるでSF映画に出てくるテレビ電話のような物が、今自分の前にある。
それ以後、海外の日本人学校と国内の学校を繋いで、数々の交流をおこなってきた。文部省(派遣当時)の研究指定も受け、中心になって進めた。
帰国後も、へき地の学校で勉強している子どもたちと、国内校・日本人学校を繋いで、多くの交流を持った。しかし、どれも日本語での交流。いまひとつ、「英語の世界」という壁を突き破ることができなかった。
○テディベアプロジェクトとの出会い
2002年4月に4年生を担任。自分はというと40歳台も後半に入っている。一の位を四捨五入すれば50歳だ。
ある日、教室のPCで何気なくJEARNのホームページを見ていた。そこには、各種の国際交流のプロジェクトが紹介されていた。
テディベアプロジェクト、隣の市の学校での実践が紹介されていた。モニターを覗き込む数人の女の子。
「かわい〜、何これ、先生?」
「テディベアプロジェクト、外国の学校とぬいぐるみを交換するプロジェクトやで。」
「面白そう、私らにもできんの?」
「もちろんや、やってみるか?」
次の日、学級会にかけて、みんなで相談してみた。最初はおままごとみたいだと渋っていた男子も賛成し、参加が決定した。
○12人の子どもたちと外国を体験
JEARN事務局に連絡を取り、コーディネートをお願いした。しばらくして、相手校が決まったという連絡が入る。
オーストラリア南部にある、レイクスエントランスプライマリースクール。
電子メールによる交流をしながら、夏休み直前に、こちらからはテディベアの「くま太」を親善大使として旅立たせた。相手校からは、「ブリンキー・ビル」というコアラがやってきた。このことを、学期末の全校集会でみんなに紹介した。
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パスポートも持って出発だ |
○おっさんでもできる国際交流
2学期になって、本格的な交流が始まった。子どもたちが、ブリンキーを1週間ずつ家に連れて帰り、その間の様子を日記に書いてくる。学校のデジカメも持ち帰っているので、子どもたちが自らの手で写真も撮っていった。
担任は、それらの日記の中から面白そうなところを選んで英語に翻訳し、画像と一緒に「ブリンキーレポート」として相手校に送っていった。
相手校からも、「くま太」レポートや子どもたちからのメールが届く。そのたびに、担任は日本語に翻訳をして子どもたちに渡していく。12人の子どもたちは、そのたびに眼をキラキラと輝かせて、未知の世界のことを身近に感じ取っていった。
中でも、ホエールウォッチングの写真には、みんな興奮を隠せなかった。
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こんな迫力画像も届いてくる |
ブリンキーの持ち帰り活動が進むに連れ、子どもたちもいろいろと工夫をしながら活動するようになってきた。日記や、子どもたちが撮ってくる写真を見ると、それがよくわかる。
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おいしいおにぎりを食べたよ |
レイクス校とテレビ会議による交流も考えてみたが、まだまだ直接話をするほど、英語の力も付いていない。そこで、ビデオに撮って簡単な自己紹介などを送ることにした。もうすぐ、ブリンキーをオーストラリアへ帰す時が来る。たくさん、おみやげも持たせたい。そして、「くま太」も同じようにしてオーストラリアから帰ってくる。
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子どもたちは、このプロジェクトを通して、本当に多くのことを学ぶことができたと思う。担任は、それをほんの少しサポートしただけ。
英語なんて、そんなに達者な方じゃない。それでも、こんなおっさんでも、翻訳ソフトを使ったり、英語の達者な同僚やALTのアドバイスを受けながら、国際交流をすることができた。
国際交流は英語ができないと・・・と思っているみなさん、
そんな心配はまったくいらない。
テレビ会議ができないと、交流はできない・・・
そんな心配もいらない。
自分の周りには、たくさんの手助けをしてくれる仲間がいると思う。
いなければ、JEARN事務局に頼めばいい。
経験豊かで英語の達人が、たくさんそろっている。
今ひとつ国際交流を始める踏ん切りが付かないみなさん、
担任のほんの少しの勇気で子どもたちが貴重な体験をすることができる。
こんなおっさんと一緒に、国際交流をやっていこうじゃないか。
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